全遊動もロングハリスも池永さんの発明ではないが、この2つと0C浮力のウキを組み合わせることで1000釣法が実現した。この釣りは分類上は全遊動ということになるだろうが、それまでの全遊動とはコンセプトがまったく異なるといってもいい。多くの釣り師に影響を与えた理由はどこにあるのか? そして、この釣りはいつ生まれたのだろうか? ※記事内容は2017年当時のものになります
操作はオートマチック
ーーオリジナルの1000釣法と多少のちがいはあるにしても、長いハリスの中にゼロ系統のウキを通した仕掛けを使う釣り師、トーナメンターが現在多いのは間違いない事実です。その中には池永さんの釣りを直接見ていない人もいます。それでも、なぜここまで大きな影響を与えたのだと思いますか。
釣れるからじゃないですか。結果が出る。
ーー誰でもといえば語弊はあるかもしれませんが、多くの人にとって釣れる方法だと?
そうです。
ーー従来の釣りと比較して、どのあたりが「結果が出る」ポイントだとお考えですか。
マキエとサシエがほかの釣法よりもズレにくい。おそらくそれが(受け入れられた)理由じゃないでしょうかね。
ーー本や映像から影響を受けた人も少なくありません。間接的にそういった情報を通じて覚えやすいのが1000釣法なのでしょうか。
単に10mのフロロカーボンハリスを結んで、釣研の0Cのウキを付けてブチ込んで、緩めに流していけば釣れてくるのでオートマチック。こっちでゴチャゴチャ操作することもないんでね。
2000年には完成
ーー19歳で底物から上物釣りに転向されたいうことですが、当時はどんな仕掛けを使っていたのですか。
棒ウキで2号とか3号とかいうオモリを付けて、もちろん半遊動ですね。ガン玉とか使ってなかったです。昔のオモリだからスプリングの付いたのがあったか…40数年前やからグラスの竿の時代ですからね。フロロカーボンの糸もまだ市場にほとんど出ていない状態。
昭和45、46年くらいじゃなかったかな? フロロカーボンが出始めたのは。こっちの釣具店にはまだなかったです。ハリスには無頓着でしたね、3号とか4号とか。竿は大島とかG7(G7はパールクリスタルG7のこと。共にダイワ製)とかそういった時代だったと思うんで。
ーーその後、仕掛けはどう変わっていったのですか。
棒ウキの後は「段ウキ」というか、ビックリボール(スーパーボール)の飛ばしウキに小さな木玉ウキを付けてやっていました。発泡の連玉ウキというのがその後に出てきて、次が釣研のななめウキとブランコの付いた小型棒ウキ。それでG杯に負けて中通しウキに変わりました。それが昭和63(1988)年。62年で負けてるから。
ーーその中通しウキは半遊動で使っていたのですか。
三原(憲作)さんの三原ウキをまねて作ったウキの半遊動です。
ーーその後は?
釣研のエキスパートグレ(初代のこと。形状は三原ウキに似ていた)という自分のウキですね。
ーーそのときは1000釣法ですか。
全然、全然。1000釣法は2001年から。まだ相当ある。エキスパートグレは1990年くらいに釣研から発売してもらったから。
ーーすると1000釣法が生まれたのが2001年?
2001年にG杯を2連覇したので発表したんですよ。12月に戦うから、発表そのものは2002年の春になるのかな。
ーー最初にG杯を取る前に1000釣法は完成していたということですか。
2000年には完成してましたよ。
ーー1997年に大知昭さんが使っているのを見て、長いハリスを使い始められたということですが?
そうです、そうです。
ーーそれより後、2000年までの間に完成したということになりますね?
1999年に釣研が00という浮力のウキを出したんですよ。それまでは0までしかなかった。それで、00が作れるんだったらオレがほしいウキも作れるはずと、試作してもらったんですよ。それで0と00の間の、ほんの少しの差の浮力設定がやっとできた。0C。まだプロトタイプですよ。それで優勝してる。
ーープロトの0Cが生まれたときが、1000釣法の生まれたときなんですね。
そうですね。
ーー長いハリスでウキを押さえ込むという1000釣法の概念ですが、大知さんが使っているのを見てから、それを試してみて発見したということですか。
そうです。大知さんはハリスを交換せんで、ハリ結びも簡単だからいいよと教えてくれたんです。「それだけじゃねぇやろう?」と思ったから自分で試してみたわけ。もっとすごい効果があることが分かった。要は風に強い。
ーー「タナの概念はない」という理論も著作で強調されておられますが、その考え方も同時期に生まれたのですか。
いやいや、それはかなり前です。全遊動の前は沈め釣りをしよったし。
ーーそれに対して仕掛けがしっくりこなかった?
そうです、そうです。
ーー半遊動でウキを浮かせて釣る仕掛けでは「グレのタナに合わせて釣る」という理屈になると思いますが、タナに合わせるという行為は、実際にはかなり難しいことなのでしょうか。
難しいです。
ーーそれをきっちりできる人は少ない?
少ないでしょうね。相当うまくないとできないと思う。
ーーだからこそ1000釣法が受け入れられた?
それじゃない。マキエとズレにくいというのが一番だと思う。それ(タナの話)は結果論。
オモリ使用率は9割
ーー現在お使いのタックル、仕掛けを教えていただけますか。ホームグラウンド大分での口太狙いを想定したものでお願いします。
竿はインテッサのG-IVやな、1号の5・3m。リールがトーナメントISO競技LBDかな。ウキはスーパーエキスパート0C。
ーーウキの浮力を変えることはありませんか?
変えることはない。道糸がフリクションゼロの1・5号。ストッパーはふかせからまん棒の小さいやつ。ハリスがウルトラフレキシブルの1・5号。長さは7~10mやけど、何もつかまずに仕掛けをブラブラさせて投入する人がいるじゃないですか。この場合、ハリスを10mとると道糸とハリスの結び目がスプールの中に入るので引っ掛かってダメなんですよ。
サシエの上のハリスをつまんで投げる人なら10mとっても問題ない。結び目がスプールの中に入るのだけは避けてほしい。これが注意点ですね。
ハリはこだわりがない、5~6号が主体です。このあとにガン玉調整が出てくる。
ーーオモリはあまり使わないというイメージでしたが…。
基本は、とっかかりとしては、使わない。要はウキを替えたくないんですよ。0Cが1個あればいい。流れが速くなるほど、潮の角度が開くほど、遠投するほど、風が強くなるほど沈まない。沈まないということはマキエと同調しないということだから。その手助けをするだけ。
ーーオモリを使用する機会はだいたい釣りの何割を占めますか。
9割くらいじゃない? そんなにトロトロした流れの釣り場には行かない、流れのあるところでは使わんとダメやもん。
ーー号数はどのくらいですか。
持ってるのはBとG3とG5、その3種類を使い分けるだけ。
ーー打つ位置もやはり変わりますよね。
条件によって変わります。基本的にはウキ寄り、ストッパーの10~15cm下。ガン玉を使うっていうのはウキを替えないというのにつながってるんやから、欠かせないアイテムです。何もないときは地球の重力に引かれて沈むから何もせんでいい。流れなど横の力が加わるんやから、その分のガン玉を打たんと入っていかんですよ。道糸が引っ張られるから。
ーーオモリを打ったときの操作は、そうでないときと変わりますか。
ほとんど変わらんです。緩めに流せばいい。
ーーいま現在、池永さんが1000釣法を使用しない状況はありますか。
クロ釣りにおいてはないです。クロ、チヌ、マダイ、イサキ、アジは全部1000釣法です。ほかの仕掛けが不要です。2001年から十何年間変わってない。
釣法は変わればいい
ーーいま池永さんが注目する若手の釣り師はいますか。
もっと伸びてほしいのは木村真也、大分でいうと。大分はいっぱいおるけどなぁ…分からん! LINE見りゃ分かるけど(笑)。あとは長崎の宮原浩。九州以外? もうあんまりトーナメントとか行かんから分からんよね。
ーートーナメントにはもう出場されないのですか。
積極的には出ないですよ。ただ声がかかったりしたときには顔を見せに(笑)。
ーー先ほど名前が挙がっていた木村さんのほか、猪熊博之さんや田中修司さんも池永さんの教えを受けたとか?
猪熊や田中修司はもう出とるから。
ーー出とるとは?
猪熊はがまかつで頑張りよるし、修ちゃんはシマノで頑張りよるだろ。もうそんな人間を引っ張る必要はないでしょ。本人たちがしっかりやればいいだけで。30なるかならんかの人間をやっぱ見とかんと。40後半の人間は独り立ちですよ。
ちょうどG杯に連覇したくらいのとき、猪熊博之や田中修司とかを世に出すためにロイヤルカップ(オールジャパングレ磯ロイヤルカップ。大分のケーブルテレビ局OCT21主催で1997年から10年間開催された。同社選抜による出場選手も豪華な顔ぶれだった)の役員に抜擢して、みんなの釣りを見せていったんです。名手がみんな大分に集まるんやから、そばで見ときなさいと2人に言ったですよ。
ーー池永さんから教わった釣り師はたくさんいると思いますが、オリジナルの1000釣法を受け継いでいると思う人はいますか。
いや…おらん、でいいんじゃないかな。いろいろ自分なりにどんどん派生させればいい。それが猪熊であり、木村であり、自分たちの釣法を編み出したというか、変わってきよるから。受け継ぐ必要もない。いいもんやったら何もせんでも全国に広まっていくじゃないですか。結果がついてくれば「釣れる」という声も多くなるから、それでいいんですよ。
釣り界を誰に受け継いでもらうかであって、1000釣法を受け継いでもらうとかいう考えはありません(笑)。
ーーこれからの磯釣り、グレ釣りに期待することはありますか。
期待することっていうか自分の考えでは、「たくさん釣ってほしい」というのと、たくさん釣るほど「魚に愛情を持って殺さんといてほしい」ということ。そこなんですよ。
ーー魚をキープする数を3尾に制限しておられるとか?
それは昔の話。そういうことをみんなに説明するためで、本当は年間で数を決めてたんですよ。一日3尾でも300日釣りをすれば900尾殺すことになってしまうから。
たぶんオレは日本で一番グレをリリースしてますよ。だって、昭和60年代からやっとるもん。どこの名手がそれだけやってるかというと…。
最初は殺さんために自分で管理しよったけど、今はわざわざそんなことしない。必要なときは持って帰るけどクーラーの中に5尾、6尾と入ることはないです。基本は全部リリースですよ。だから決める必要もない。身に付いてるから。
釣れば釣るほど上手じゃないですか、だからこそ命を大切にと。エサ取りも何もかも含めてね。そういう釣り人になってほしいわけ。釣りをやめろといっても、やめられんじゃないですか。命と対峙していることを学んでほしいというのが一番。そのためにも上手になれと。上手になればなるほど自然を大切にしろと。そこですよ。
お返しをしなさいと。タバコやゴミを捨てたり、エサ取りを放ったらかしたり、そんな釣り人はおらんようになっていいよと。若い人たちからそれをやれば、20年、30年と経ったときに、そういう人がたくさんになるからね。
いけなが・ゆうじ 1954年生まれの魚座、A型。1000釣法のパイオニアであり、特に九州ではカリスマ的な存在。右手薬指にはリールによるタコがある。バードウォッチングも趣味。ブログ「磯にはいつも夢があるII」も必見。美しい野鳥の写真(ご本人撮影)も多数アップされている。