初めての取材
1991年の秋、いまから約31年前に初めて取材をさせていただいた。長崎県対馬の浅茅湾、狙いは年無し(50㎝オーバーのチヌ)。当時、鬼才は46歳でバリバリの闘争心大ありの名手だった。ところが、それとは裏腹に釣り場以外では気さくで楽しい人だった。
お会いするまではちょっと怖い神経質なイメージではあったが、まったくその気配はなかった。また無類のアルコール好きで夜の宴は最高潮。当日は不覚にもボーズだったが、その夜に作戦を考えていたのだろう、寝床に入ってすぐに「よし、分かった。明日は入れ食いにしたる」と言い切ったのだ。
それはまさしく神がかり的だった。驚愕の一語に尽きた。大型のチヌが計算通りに絵に描いたように入れアタリ。それも初めての釣り場である。取材は感無量の大成功に終わった。徳島に松田稔ありだった。フカセ釣りの鬼だと痛感させられた。
すごいワザを期待したが…
1995年の10月、プライベートの釣りに同行取材させていただいた。愛媛県の矢ヶ浜。この日もきっとすごいワザがカメラに収められると思っていたが大間違い。
朝一はエギングでアオリイカに没頭。高笑いしながら腰に差したナイフで、イカはまな板がわりのオキアミの3kg板の上で刺身に。キッコーマンと徳島県木頭村の自家製ゆず汁でいただく。
しかしタックルバッグの中にしょう油とゆず汁を忍ばせているとは…。感激の美味さ! ワザありであった。その後はのんびりと和気あいあいと仲間たちと釣りを楽しむのであった。
「ワシはこんな釣りが好きじゃ。必死に釣ってもしゃあないで。遊び心が大切よ」
そこにはトーナメンターの顔は微塵もなかった。こんな釣り師は見たことがなかった。このときから番記者的に松田稔さんの30年間を超える膨大な取材がはじまったのである…。