地元の徳島では竿を出したがらない。それは他人の目である。有名な釣り師の宿命。良くも悪くも何を言われるか分からないからだ。しかしここは阿波釣法のルーツであり、名を馳せた名手たちを古くから育てあげたところ。松田さんもその1人であり、自身が昔から切磋琢磨してワザを磨きあげた思い出たっぷりの釣り場である。
そんな徳島でも牟岐の名は知れ渡った釣り場、牟岐なくして阿波釣法は語れない。1999年の12月下旬、いまから25年前になんとか松田さんを説得して徳島県牟岐にアタックした…。
名礁アシカバエ、足元のハエ根が超難関
ここは牟岐大島と魚影はかわらない双璧の釣り場、牟岐津島である。運よくアシカバエが空いていた。アシカバエは牟岐津島から少し離れた出羽島にある。出羽島は牟岐の中でも最も南にあり人家のある大きな島だが、磯は一つアシカバエだけである。渡船から見ると大きい磯のようだがポイントは狭く竿出しできるのは2人くらいだ。
朝一にマキエを打つとあまりバラけずに真下に沈下していく。エサ取りは出てくるが動きは鈍い。時間が経つにつれ、少し上り潮のように見えるが底潮までは流れていない。午前10時過ぎ、木っ葉グレの下から33cmクラスをパタパタと引き抜いた。ウキ下を10cm刻みに動かすという細かいアプローチが効いている。
午後1時30分ごろに潮が下り潮にかわった。といっても元気のない流れだ。だが、サイズはよくなってきている。40cmオーバーもキャッチ。期待の下り潮に賭ける…。
「よっしゃ、大きいっ! アカン! ハエ根に張り付きよるぞ。許さんっ」
午後2時30分過ぎに強烈な締め込みがロッドを襲った。気迫のやり取りを展開。右前方の3重になったハエ根の際ギリギリに流していた松田ウキの松山がスパッと一気に消し込んだのだ。しかし危ない。ラインがそのハエ根に何回も当っているではないか。こうなったら捨て身の挑戦だ。
ハリス1.5号が危ない! 竿のタメだけであしらう
「浮いてこんぞ! こいつはしぶといヤツじゃ、こっちを向かんヤツよ! こうなったら粘ったるけんな! あせったら負けるぞ」
松山がヘビーな抵抗を受けて、ググッと20cmほど上がってきたかと思えばギュンと消える。右側前方に張り出した3重のハエ根の左角で松山は数回そんな動きを見せた。とにかく、しぶといヤツだ。いつもの豪快さがない竿さばきからその慎重さが分かる。ハエ根をかわすことに専念しているようだ。
「こんなときは竿のタメだけであしらうんや。ジワッと引きずり出してグレを沖に向かせるんや。それでハエ根から離してこっちへ回してくるんよ」
ロッドの角度はずっと一定だった。ヤツがググッと引けばロッドの角度を維持してしゃがみ込む。ウキが見えたらまた立つ。この繰り返し。ハリス1.5号はどこまで持ちこたえられるのか…。
してやったりの松田スマイル
つぎの瞬間、なんと松山がハエ根の左側から沖側へジワッと離れていったのだ。だが、ロッドの角度は一定を保っている。今度はロッドをねかせ気味に右側へ回転させて自分の前に誘導してきた。ヤツはその間も何回か潜ろうとしたが、すでにパワーダウンしていた。強烈な締め込みは見せなかった。タモ入れは一発で決まった。してやったりの松田スマイルが印象的だった。激戦の51㌢の口太グレが軍門に降った。
徳島での勇姿はこの1999年が最後であったように思う。それ以後は、四国西南部の尾長グレに没頭するのであった…。