磯釣りスペシャル on sight

あのとき鬼才は若かった

松田稔の熱い魂を伝えたい〜 其の七/原点のアユ釣りアマゴ釣り

撮影・文=細田克彦

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あのとき鬼才は若かった

 生まれは京都府伏見だが、育ちは徳島県那賀郡の木頭村である。那賀川の上流にあるひっそりとした村で少年のころ、毎日のように川に入り、アユとアマゴが遊び相手だった。

野アユを掛ける。軽快な動きで受け止める。最高の笑顔をみせる

 だから、昔の野性豊かな本当のアユやアマゴを知っている。大自然のなかを生き抜いてきた天然を知っている。いまではアユもアマゴもかわったと嘆く。人間が交配させ過ぎるから野性が消えつつあると…。しかし、いまも春にはアマゴ、夏にはアユを楽しんでいるのだ。

これは青森県追良瀬川(おいらせがわ)での釣果。のんびりとした2004年7月の遠征だった

没頭できる孤独なテンカラが一番

 川に立ち込む鬼才を望遠レンズで追いかける。ファインダーに飛び込んでくるのは少年のころの屈託のない笑顔である。悪ガキ!? マツダ少年なのだ。釣り師はみんな竿さえ持てば少年に戻れるのだと痛感してしまう。

これは昔に考案した“松ちゃんバリ”。掛けバリだが、1本1本のハリの軸が短く3本が同じように固定されていないから掛かりがいい。がまかつから “チラリ”という名で商品化されていた

 実はグレの鬼才、チヌの天敵が本当に愛するのは磯釣りより川釣りのアユとアマゴなのだ。やはり昔の古き良き少年のころの思い出がよみがえるのだろうか…。アユよりもっと好きなのがアマゴ、渓流釣りである。それも毛バリを使ったテンカラ釣りである。

高知県安田川で一番好きなテンカラを楽しむ。テンポのいいフットワークで決める。ひとりの世界がいいという

 もちろん毛バリは自分で思いを込めて巻く。渓流はいつもの釣り仲間から離れてひとりになれるからいいのだろうか。美しい渓流が好きなのだろうか。テンカラは35年近く取材をさせていただいているが、カメラに収められたのは2度だけ。それだけ誰にも邪魔されない1人の時間を大切にしているようだった。没頭できる孤独な世界がいいようだった…。

テンカラの毛バリは、もちろん自分で巻く。思いを込めて…

釣りは自分が満足できる最高の遊び

 昔、釣りに対するポリシーみたいなことを聞いたことがある─。

 「もともと人間は仕事をせんと生きていけんだろ、仕事は辛いもんじゃ。せやから遊びはなんでも面白いはずよ。釣りも遊びや。遊びはなんでも楽しいんよ。大きい魚を釣るからエライんとちゃうし、たくさん釣るからエライことでもない。まして大会なんか出て優勝するからエライでもない。釣りはひとりで遊べるということが一番エエんよ。自分がジャコを釣って一日遊んで楽しかって満足したらそれでエエ。それこそが釣りの本当の姿よ」

繊細なアマゴに思わず顔がほころびる。大グレを仕留めるような緊張感はみじんもない

 釣りをとことん楽しむというのが鬼才のポリシーである。釣り師ならこれは至極当たり前のことである。しかし、現代はちょっと違っているという。流行っているから釣りをする。勝ちたいから釣りをする。そういう傾向があるという。まぁ、これはすべてのジャンルには当てはまらないが、そんな釣り師がふえたという。

50歳後半の鬼才。とことん釣ったあとは釣り場で食す。これも川釣りの醍醐味。アユは素焼きにして少しの醤油が一番合うという

 特に鬼才が好きなグレ、チヌ、アユの世界ではそんな若い釣り師がふえている。原因は大会、トーナメントである。大会が悪いというのでなく、それが釣りの真の姿だと思ってしまうのがいけないというのだ。釣りの基本は魚を釣ること、人に勝つのが目的ではないと…。また、もっと色々な釣りをして視野を広くもつことも大事だという。

80歳でもとことん楽しむ姿勢は変わらない

渓流釣りに没頭する。静かに景色を見ながら、鳥のさえずりを聞きながら…。磯なら常に釣り仲間がいるのだが

 グレとチヌとヒラマサなどの磯釣り、アユとアマゴの川釣り、チヌのイカダやカセ釣り、小物相手のサビキ釣り…、釣りはなんでもこなし、釣った魚は食し、釣りをとことん楽しむ松田さんは来年80歳をむかえる。現代は遊びがいっぱいある。幸せな世界だろう。しかし鬼才のように古き良き時代を生き、釣りと魚の真の姿を語れる人間は少ないかも知れない。

 そろそろ夏本番、磯は忘れて川へ立ち込むころだ。

2024/07/19

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